2012年12月4日火曜日

「会津電力」構想 自然エネで”独立運動”

-----東京新聞『こちら特報部』 12月3日

------小水力発電ニュース------
衆院選の争点である「脱原発」の行方は定まらないが、すでにはっきり原発との共存を拒否しているのが福島県だ。原発事故の苦しみの渦中で、県民たちは自然エネルギーによる復興を模索する。会津地方の蔵元らが呼び掛ける「会津電力」構想もその一つ。反骨の地で湧き起こる脱原発の機運とは。(中山洋子)


◆酒造り 水にこだわり

「脱原発ができるできないと、国は右往左往しているが、福島にはそんな暇はない」

福島県の会津盆地にある喜多方市で江戸時代から続く「大和川酒造店」の9代目佐藤弥右衛門さん(61)が切り出した。11月中旬、同店で開かれたシンポジウムで、佐藤さんらは、エネルギーの地産地消を目指す「会津電力」構想をぶち上げた。

近隣の会津若松市や三島町の仲間らとともに研究会を発足。会津地方各地の小水力や太陽光発電の動きをつなぎ、電力の自立を図ろうという構想だ。佐藤さんは”独立運動”さながらの熱意で全会津の結集を呼び掛けている。

「会津の自然を利用したエネルギーの自給を目指す。小水力でも太陽光でも、できるところから始めたい。いずれ東京電力が持っている猪苗代湖などの水利権も買い戻す。会津はエネルギーで自立するんです」

原発事故に翻弄された1年余の日々で痛感したのは、会津にもともとある豊かさと、それを「東京」に吸い上げられてきた現実だ。

東京農大の短期醸造科で学び、1978年に帰郷してからは、近隣の農家と提携して有機農法による酒米づくりに取り組んできた。「いい米があっていい酒ができる」。97年には農業法人「大和川ファーム」を設立し、酒造米の自社栽培も始めた。

米へのこだわりは評判で、肥育牛のブランド化を進めていた飯舘村の商工会からも「飯舘牛の食事に合う酒を造ってほしい」と頼まれた。飯舘村で収穫する米で87年に開発したのが「おこし酒」だ。

地域おこしの酒造りがきっかけで飯舘村との交流が始まり、2011年1月には飯舘村の魅力を伝える「までい大使」にも任命された。その2か月後、東日本大震災と原発事故が発生。一升瓶に水を詰めてトラックでかけつけた。

「じいさんから、関東大震災のときに一升瓶に詰めた水を東京に運んだと聞かされていた。酒屋には水がある。このときも、ペットボトルの水を用意するより、一升瓶に詰める方が早かった」

福島市や郡山市、いわき市などの取引先にも手分けして水を運んだ。「困っている人の助けになれば」と奔走したが、故郷の会津地方も原発事故に脅かされていた。修学旅行や観光客の足は遠のいた。どこよりも厳しい自主基準で放射性物質の検査をする県内酒造業界も風評被害に苦しむ。復興支援で一時は増えた需要も、1年を過ぎると急速にしぼんだ。

「自然災害の悲劇は時間が解決してくれる。だが、原発事故は時間の流れを止める。たとえ40年で廃炉にしても、放射能のごみの管理は1万年単位。人間わざではどうしようもない」

◆「水資源を取り戻す」

昨年11月に発足した草の根で新しい福島をつくることを目指す「ふくしま会議」にも加わり、原発の問題を議論。専門家と市民が垣根なく話し合う会議で、自然エネルギーの可能性を探ってきた。そんな中で浮上したのが「会津電力」のアイデアだ。

猪苗代湖があり、磐梯山の爆発でできた檜原湖があり、水資源に恵まれた地域。早い時期から水力発電の開発も始まった。戦前には多くの電力会社がひしめいていたが、戦中戦後の企業統括で一本化された。現在、発電用の水利権の大半は東京電力が所有する。

「東京に電力を送ることが晴れがましかった時代もあった。会津の電気が山手線を動かしてんだぞ。東京タワーも会津の電気で動いているんだって。若者はこぞって東京を目指した。そうやって地方はヒト、モノ、カネのすべてを東京に吸いとられてきた。それを取り戻さなければならない」

水車のような小さな設備を利用して発電する小水力発電は、会津若松市や三島町など各地で検討されている。喜多方市では旧高校の校庭に太陽光パネルを置く計画が進む。「会津電力」構想の柱は、こうした地域の取り組みをつなぎ広げる運動だ。

東電からの水利権奪還という無謀に思えるようなことも、怒りが積もる地域で共感を広げる。

「福島の土地を汚した東電は責任を取ってもらわなきゃならないが、われわれも会津の歴史や自然を次代に伝える責任がある。どんなに困難であっても、自然エネルギーに転換するしかない。それを大企業に委ねてしまえば、原発の構図と変わらないままになる。自分たちの電力は自分たちでつくってこそ、地方は自立できる」

[エネ復興 福島各地で実践]

再生可能エネルギーの導入にかける福島県民の思いは切実だ。

県は県内の全原子炉の廃炉を国や東電に求めて退路を断った。再生可能エネルギー導入を復興策の柱に盛り込み、「2040年をめどに県内需要の100%にあたる自然エネルギーを生み出す」という高い目標を掲げる。洋上風力実験など大規模プロジェクトや関連産業を誘致。エネルギーの地産地消の取り組みを支援するファンドも検討する。

それぞれの地域で「脱原発」の実践は始まっている。南相馬市では、津波の被害を受けた農地に太陽光発電と植物工場の建設が進む。客足が落ちこむ土湯温泉(福島市)では温泉熱を使った地熱発電を計画している。会津若松市では今夏、間伐材だけを燃料に使う国内初の大規模バイオマス発電所もスタートした。

環境エネルギー政策研究所の浦井彰氏は「福島県の再生可能エネルギー資源は豊富で潜在能力は高い。目標達成は十分に可能」と指摘。太平洋岸の浜通りは太陽光や風力に適し、会津地方は水力発電に加え、風力や地熱にも期待できるという。もともと原発事故前から福島県では、電力供給に占める自然エネルギーの割合は2割を超えていた。

課題もある。小水力発電の場合、水利権などの許認可が複雑で事務作業が膨大。住民の合意形成も必要だ。
重要なのは地域が主導する仕組みだ。「エネルギーの転換も東京資本で進むなら原発のシステムと変わらない。自分たちが苦心して作るエネルギーはジャブジャブ使いづらい。電力浪費を抑える省エネにも期待できる」

太陽光発電の中小事業所による「福島おひさま連合」のようなネットワークも生まれている。浦井氏は「原発はありえないという認識に立つからこそ、自然エネルギーの可能性を真剣に探っている。同じように日本全体が、原発事故を直視すべきではないか」と話した。

[デスクメモ]

日本維新の会の橋下徹代表代行が、東北で最初の遊説に入ったのが会津若松だった。脱原発について「何も変わっていない」と見えを切った。その後の、石原慎太郎代表との不一致ぶり。票集めのための「とりあえず脱原発」ではとの疑念は膨らむ。あいまいにせず、正直に言ったらどうだろうか。(国)